茶道の起源はいつ頃?時代ごとの歴史と近現代の発展についても解説
茶道は、日本の伝統文化として、国内だけでなく海外でも人気があります。しかし、お茶の文化はどのようにして誕生したのか、日本人でもわからない人は多いでしょう。そこでこの記事では、茶道の起源と歴史を時代ごとに解説するとともに、近現代での茶道の発展についてもご紹介します。
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茶道の起源と歴史
茶道の起源と歴史について、以下の4つの時代ごとに解説します。
- 平安時代:お茶の伝来
- 鎌倉時代:お茶の普及
- 室町時代:茶会文化の発展
- 戦国時代:茶道の誕生
平安時代:お茶の伝来
日本にお茶が伝来したのは、平安時代頃と言われています。遣唐使であった最澄と空海が、現在の中国からお茶を持ち帰ったのが始まりです。当時のお茶は、今のような粉末状のものや、細かい茶葉のものではなく、団子状に丸めた「団茶」と呼ばれるもので、色も緑色ではなく茶色であったため、茶の色はブラウンを指す言葉になったと言われます。
鎌倉時代:お茶の普及
鎌倉時代には、栄西が宋(現在の中国)からお茶を持ち帰り、『喫茶養生記』という茶を題材にした本を執筆しています。この時のお茶は、娯楽としてではなく、薬として医療で用いられることが主流でした。その後、栄西の弟子であった明恵が、宇治で茶の栽培を始めたことから「宇治茶」となり、各地にお茶が広まるようになります。初めは宮廷のみで広まりましたが、徐々に武家や庶民にも伝わったと言われます。
室町時代:茶会文化の発展
室町時代初期には、鎌倉時代に広まったお茶が各地で娯楽品として親しまれ、武家を中心に茶会文化が生まれます。初期の茶会は、お茶を飲み比べる「闘茶」や、博打などを行い武士が派手に楽しむものでした。その後中期になると東山文化が誕生し、村田珠光が4畳半の質素な空間でお茶の精神を楽しむという、「草庵茶の湯」を作ります。こうして、茶会は派手なものから、書院で静かに行われるものへと変わります。
戦国時代:茶道の誕生
室町時代の中期以降、戦国時代に入ると、村田珠光が作った茶の世界を、武野紹鴎(たけのじょうおう)が発展させ、弟子であった千利休に受け継ぎます。利休によって茶を淹れる作法や、茶室の空間が完成され「茶の湯」という茶道のもとになる精神が誕生しました。その後は、利休の弟子であった、利休七哲という7人が茶の湯を普及させたと言われます。
近代・現代における茶道
近代・現代における茶道について、以下の2つより解説します。
- 女学校での茶道教育
- 外国人に人気の茶道文化
それぞれについて解説していきます。
女学校での茶道教育
明治時代には、礼儀作法や美しい所作を学ぶものとして、茶道が女学校の教養科目になります。それにより、茶道は女性が行うものというイメージが定着し、現在でも茶道教室に通う人は男性よりも女性の方が多いです。こうして武家や僧侶の嗜みであったお茶は、女性主体の現在の茶道に変わりました。
外国人に人気の茶道文化
現代になると、日本の西洋化に伴って茶道を行う人も減りました。一方で、日本の伝統文化として海外の人に注目され始めます。海外に広まった背景は、日本のアニメや抹茶ブームによるものとされ、京都などの観光地では、和菓子や抹茶を楽しむ外国人の姿が多いです。
茶道の体験教室でも外国人が多くなり、中には英語で対応をしているところもあります。こうして茶道は、テレビなどで取り上げられる機会も増え、国内でも伝統文化として再認識されます。
歴史を知って茶道をもっと楽しみましょう
中国から伝わったお茶は、日本独自の発展を遂げることで、今の茶道になりました。また、現代でも茶道は広く親しまれ、日本だけでなく世界的にも人気があります。文化の成り立ちを学ぶことで新たに発見できることもあるので、歴史を知って茶道をもっと楽しみましょう。
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